一人で居させて。
母親に実家に連れ戻されそうになったけど
死ぬほど嫌だったので
なんとか自宅に置いてもらった。
あたし死にかけの状態で誰かと喋りたくない。
あたし死にかけの状態で気を使いたくない。*1
そもそも既に実家には二人メンヘラーが居るのに
どうやってあたしの面倒を見られるの?
だったら一人の方がいい。
言うまでも無く、あたしは直感で動くタイプだ。
たまたま目に付いた薬を飲んだ、ただそれだけの事。
これが風邪薬だったら死ねたんだろうか。
たまたまアルプラゾラムとSSRIの残りだったから助かってしまったんだろうか。
「本当に死にたかった」と言っているが
遺書の代わりにメールを送った時点でそれは「ポーズ」だ。
誰かに心配されたい気持ちが働いているんだ。
浅ましく醜い思考回路。
黙って死ねよ、雌豚。
しかし皮肉にもこの行為であたしは少なからず愛されて居るのかもしれないと
抱いてはいけない期待を抱いた。
…中には「ウソ心配」もあったけれど(笑)*2
後は明らかに「自分の周囲の人間がそういう死に方をすると面倒くさいからやめなさい」的な内容のメール。(あたしはそう受け取った。言葉考えた方が良いよ。あたしが言う事じゃないけど)*3
そして決定的だったのは
「あんなところ*4で死なれても困る」という母親の一言。
これであたしは自宅に残る事を決めた。
確かにあたしは愛されている。
ごく僅かな、ごく一部の人間に。
だけど一部の人間は、あたしを本当に必要としている訳ではないんだ。
やっぱり 生き残らなければ良かった。
メールなど打たなければ良かった。
次は遺書を持って外で死ぬ事にしよう。
室内はダメと言うから、歩道橋から飛び降りよう。
ゴミ袋に包まれば、死体が飛び散らない。
…ほら、また言葉の所為で歪んでいく。
「神様に救われた命」なんて思わない。
「こんな命拾って、まだ何かさせる気なんですか、アンタは」
頭の中はそんな言葉しか浮かばない。
本当に何させたいの?あたしに。